読んだ本 村田沙耶香『コンビニ人間』

結構前に読みはじめて、さくさく読み進めることができる現代日本の小説なのだが、内容が実にクリティカルかつ有意味に気持ち悪く、なかなかページがめくれないため読了に時間を要した。


コンビニ人間

コンビニ人間


あらすじ。
おそらく自閉症スペクトラム障害的な何かに該当する女性の主人公は、幼少期から持ち前の空気読めなさから社会に適合できず(どちらかというと周囲が)苦労してきたが、大学も出ていい歳になってからコンビニバイトという天職との邂逅を果たす。コンビニバイトというシステムの部品として完璧なパフォーマンスを果たすということにはじめて達成感を感じた主人公であったが、あるトラブルからコンビニバイトから離れることとなってしまい…みたいな感じだろうか。



作中に出てくるダメニートが口にする「縄文時代」という比喩があるが、現代においてもその「縄文」的な価値観は確固として残っており、「働かない・結婚しない・産まない」というフリーライダーが至上の悪と位置付けられるのは変わらない。


そんな世界において空気の読めない「アスペ」的な主人公の一人称で語られる本作は、むしろ反対に、ロジカルなアスペルガー的世界の側から観察したときの「縄文時代」の非論理性、醜さ、いやらしさ、狡猾さといったものがより明瞭に適示されるため、時代診断的な機能を持っている。


また本作の主人公は女性であり、「縄文」世界というシステムにおいて最も不要とされる「石女」(うまずめ=産めない女)であるからこそ、この作品の強烈な「居心地の悪さ」につなっているんじゃないかと思った。これが男(=白羽)が主人公だったら、結局はマッチョな雄という役割をこなせない自分に対するナルシスティックな自己憐憫話にしかならない。


本作ラストの、システムの部品としてまたコンビニの世界に還ることが小説的カタルシスをもって描かれることが、逆に(「縄文」サイドから見た時の)「それでいいのか」という逆説にもなっているというのがなかなか良くできている。





本書主人公の「自分という人間が、システムの部品としてふるまえたことに感動と達成感を覚える」という感覚は自分でも覚えがある。
たとえばICタッチの改札をミスらずに通ることができたとき、くら寿司のタッチパネルで一言もしゃべらずに注文し食事を済まし下膳と会計まで終えて出られたとき、などなど。


コンビニの要求は明確かつ厳格であるのに、「縄文」の要求はぼんやりとしている。