見た映画 ナ・ホンジン監督『哭声/コクソン』

なかなかわけがわからなかった。

以下ネタバレあり。



あらすじ。

現代韓国の小さな村で、不気味な殺人事件が連続して発生する。事件は狂気に陥った犯人は自分の家族を皆殺しにするというものであり、マトモな動機は見つからない。
警察官である主人公は捜査を進めるうち、事件の周囲に謎の日本人(國村隼)の影を認めるが…




本作冒頭のエピグラフはいきなり『ルカによる福音書24章』の引用から始まる。
復活したイエスに驚く信徒達に、イエスが答える場面。

彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。
そこでイエスが言われた、
「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。
 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。
 さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。
こう言って、手と足とをお見せになった。

https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3


本作を最後まで見ると、この引用が示すところの「あやしげなものをブレずに信じること」の困難が描かれていたんだな、というのがぼんやりとわかる。

監督のインタビューで明かされているように、本作のモチーフは、ユダヤ人(村人)によるキリスト(=國村隼)殺害と復活であるらしい。



まあ確かにユダヤ教を信じる旧体制側の従順な民からすれば、イエス・キリストというのは共同体秩序を乱す冒涜的なテロリストのように見えたのかもしれない。



映画を見た後にいろいろ調べてみるとニワトリが3回鳴いたり魚を食べるシーンが意味深に入っていたりというようなキリスト教的なモチーフが散りばめられていたのだなというのが事後的にわかった。



しかし見ている最中の感慨は、怪しげでパワフルで乱暴で混沌とした韓国映画の面白さが存分に発揮されていて、うんちく的要素がわからなくても、最終的にどこに連れていかれるのかがまったく分からないスリルが味わえたので、かなりよかった。